仙台高等裁判所 昭和30年(ネ)541号 判決 1956年7月17日
主文
本件控訴を棄却する。
控訴費用は控訴人の負担とする。
事実
控訴代理人は「原判決を取消す、被控訴人の請求を棄却する。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴代理人は控訴棄却の判決を求める。
当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は控訴代理人において、被控訴国が昭和二五年田瀬堰堤工事の再開を決定した際、堰堤敷地である田瀬部落内の土地の占有を確保するためには、部落居住者が戦時中補償手続終了後もなおその居住を継続しなければならなかつた事情や戦後における社会経済的事情の激変に徴し、既成の買収手続に基く法律関係を基礎として退去を強要することは妥当でないことを自覚し、更に居住者全部に対し現状に即した移転の補償をなすことと決定し、当時控訴人を含む田瀬部落の居住者及び耕作者全部に対し従前の法律関係を問わず再補償を行うこととなつたのである。そして国は控訴人を除く居住者七四名全部に対しては補償協定を成立せしめて夫々土地の引渡しを受けたのに拘らず、控訴人に対してのみ補償業務の適正な遂行を怠り協定不成立の儘協議によらないで強制手段を以て移転の実現を図ろうとするのであるから、右は明かに関係住民中控訴人のみを差別待遇するものであつて、憲法第一四条に反するものであると述べ、被控訴代理人において控訴人の右主張事実を否認すると述べ(立証省略)た外、原判決摘示のそれと同じであるから、これを引用する。(但し原判決二枚目裏九行目の(三)ないし(六)とあるのを(三)ないし(五)(七)と改める)
理由
別紙目録記載の土地が被控訴国の所有であつて、その内(二)及び(六)の土地は昭和一八年六月一七日控訴人から、その余の土地は訴外内館景治外五名からそれぞれ買受けたものであること、右売買当時控訴人と国との間に控訴人は(二)及び(六)の土地にある九棟の建物を昭和一八年一一月末日までに収去して土地を引渡すべく、被控訴人は土地の引渡を受けたときは移転料其の他雑物件移転料の補償として金一五、二一六円一〇銭を支払うことを約したこと、被控訴人は同年一二月九日までの間に控訴人に対し土地代金及び補償金の全部を支払つたこと、田瀬堰堤工事は着手後一時中止状態となつたので控訴人は右建物の収去をしないでいる内昭和一九年一二月一六日一部を除き焼失したので控訴人は昭和二〇年四月以降において(二)の土地に原判決添付目録記載の(3)乃至(6)の建物(六)の土地に同(12)ないし(14)(16)の建物を各新築したのみならず、別紙目録(一)の土地に原判決添付目録記載(1)(2)の建物を(三)の土地に同(7)の建物を、(四)の土地に同(8)(9)の建物を(五)の土地に(10)(11)の建物を(七)の土地に(17)の建物をそれぞれ建設したことはいずれも当事者間に争がなく、別紙目録記載の土地は昭和一六年当時の内務省が北上川水防対策綜合開発の目的で岩手県猿ケ石川田瀬堰堤の建設に着手することとなり、その湛水敷地として買収した約六平方粁の土地の一部であること、控訴人は昭和一八年一二月九日国に対し前記約旨に基く土地の引渡猶予と前示補償金の前払を懇請したので国はこれを承諾して補償金を支払つたのであつたが、控訴人は右引渡猶予期間を経過した今日なお土地の引渡しをしていないのみならず、別紙目録記載(二)及び(六)の土地に建てた前記建物は国に無断で建築したものであることはいずれも控訴人において明かに争わないところであるから、これを自白したものとみなすべきである。
而して成立に争のない甲第三号証の二、第四号証、第二四号証を綜合すると、控訴人は昭和一八年一二月中国に対し昭和一九年六月一〇日までには別紙目録記載の(二)及び(六)の土地に建設してある建物九棟を収去して敷地を明渡す旨承諾し前叙補償金を受取つたものであることが認められるのであつて、他に右認定を覆すに足る証拠はないのであるから、他に特段の事情がない限り控訴人は国に対し別紙目録記載の土地中(二)及び(六)の土地は前示約旨に従い、爾余は不法占拠者としてこれが明渡し義務があるものというべきである。
控訴人は国が(一)別紙目録記載の土地に対する控訴人の使用を黙認したし(二)本件建物の移転に関する条件を充足しなかつた(三)控訴人が別紙目録記載の土地に対する賃借権を有する(四)本件建物は仮処分の執行に因り既に収去されているから本訴請求は理由がないと主張するから案ずるにこの点に関する当裁判所の判断も原判決のそれと同じであるから、ここに原判決の理由記載(原判決七枚目裏一一行目から九枚目表一〇行目まで)を引用する。なお控訴人が当審で援用した乙第八、九号証、当審証人伊藤信の証言、当審における控訴人本人尋問の結果中右認定に牴触する部分は採用し難く、他に右認定を左右するに足る証拠はない。
控訴人は更に国が控訴人と控訴人以外の湛水区域内居住者との間に差別待遇をしたのは憲法第一四条に反すると主張する。しかし国が控訴人と控訴人以外の湛水区域内居住者との間に差別待遇をしたかの如き乙第四、八、九号証の記載、原審及び当審における控訴人本人尋問の結果は措信し難く、他に右主張事実を認めるに足る証拠はない。却つて成立に争のない甲第一〇号証、第三四号証の二、三第三六号証の二、に弁論の全趣旨を綜合すると、田瀬堰堤工事を再開ずることを決定した国は昭和二五年頃既に右堰堤内の湛水予定区域内にある土地、建物等を国に売渡し、その代金を受取ると共に昭和十九年六月一〇日までには地上の建物を収去して土地を明渡す旨契約し建物の移転料までも受取つていながら約旨に反してなお売渡土地を占有使用していた転居未了の者が控訴人を含めて七五名あつたので、国としてはこれ等国有地の不法占有者に対しては毫も補償等をなす義務がないのであるが、終戦後の社会、経済的事情の変動その他諸般の状況を考慮すれば、建物収去及び土地明渡を促進するが為にも、これ等の者に若干の金員を贈与するを相当とするとの結論に達し、会計検査院の意向をも徴した上農地については離作料、建物については移転料名義で相当額の金員を支払うこととし、それぞれ綿密な調査と計算に基き各自の補償額を決定し、前示七五名にこれを支払うべき旨通知したところ、その大部分の者は国の中申出に応じて転居したが、控訴人は右補償額に不満を抱きこれに応じなかつたところ、右は先に補償の対象となつた建物の大部分が焼失したので、右焼失建物は追加補償の対象とはならないけれども、国は特にこれが焼失しないで現存するものと仮定して控訴人に対する補償額を金一、九七八、一八九円と定めたのに拘らず、控訴人としては焼失後国に無断で擅に建てた建物に対して右補償当時の価格を基準とした補償を受ける権利があると曲解した結果であつたが、結局昭和二九年八月二二日事情を納得して右補償金を受取ると共に同月三一日までに湛水予定区域外に移転することを承諾し、その旨の承諾書を国に提出したのであつたが、その後意をひるがえして右承諾書は控訴人の自由意思に基かないものであると強弁して移転を拒否するに至つたものであることが認められる。
しからば控訴人は湛水区域内の他の居住者よりも寧ろ有利な取扱を受けているものといわなければならないのみならず、憲法第一四条は人格の価値がすべての国民について平等であり、従つて人種、信条、性別、社会的身分又は門地等の差に基いて国民の政治的又は社会的関係における基本的な権利義務に関し或は特権を有し、或は特別に不利益な待遇を与えられてはならないという原則を示したものであって、国民各自の職業、自然的素質、人と人との間の特別な関係等の各事情を考慮して道徳、正義、合目的性等の要請により国民がその関係する各個の法律関係においてそれぞれの対象の差に従い合理的に異る取扱を受けることまで禁止する趣旨を包含するものではない(最高裁判所昭和二六年(あ)第二一三七号昭和二九年一月二〇日大法廷判決参照)のであるから、控訴人の右主張も採用することはできない。
以上の次第であるから、〓余の点についての判決をするまでもなく控訴人の主張は理由がないのであつて、原判決は相当であり、本件控訴は理由がない、よつて民事訴訟法第三八四条第九五条第八九条を適用して主文のとおり判決する。(昭和三一年七月一七日仙台高等裁判所第一民事部)
(別紙目録は省略する。)